帯広市 概要

帯広市(おびひろし)は、北海道十勝支庁管内にある市。十勝支庁所在地で、十勝地方の中心都市。

帯広の街は、官主導の屯田兵や旧幕府家臣による開拓ではなく、静岡県出身の依田勉三率いる晩成社一行が1883年(明治16年)5月に入植したのが開拓の始まりである。その後の開墾は冷害や虫害など苦難の連続であったが、1895年(明治28年)に北海道釧路集治監十勝分監(通称十勝監獄。現在のグリーンパーク一帯)が開設されると、受刑者によって大通が整備されていき、市街地が形成されていった。

かつては十勝地方の農産物の集散地として栄えていたが、自衛隊の旅団化に伴う人員削減や官公署の統廃合、民間事業所の集約に伴い人口の減少が続いている。

帯広の名の由来は、アイヌ語「オペレペレケプ」(川尻が幾つにも裂けている所)または「オベリベリ」(オペレペレケプの和人なまり)からといわれている。

帯広市 面積 618.94km2
 
帯広市 総人口 168,532人(住民基本台帳人口、2009年3月31日)

帯広市 人口密度 272人/km2

帯広市 地図


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帯広市 地理

帯広市 概要

帯広市(おびひろし)は、北海道十勝支庁管内にある市。十勝支庁所在地で、十勝地方の中心都市。

帯広の街は、官主導の屯田兵や旧幕府家臣による開拓ではなく、静岡県出身の依田勉三率いる晩成社一行が1883年(明治16年)5月に入植したのが開拓の始まりである。その後の開墾は冷害や虫害など苦難の連続であったが、1895年(明治28年)に北海道釧路集治監十勝分監(通称十勝監獄。現在のグリーンパーク一帯)が開設されると、受刑者によって大通が整備されていき、市街地が形成されていった。

かつては十勝地方の農産物の集散地として栄えていたが、自衛隊の旅団化に伴う人員削減や官公署の統廃合、民間事業所の集約に伴い人口の減少が続いている。

帯広の名の由来は、アイヌ語「オペレペレケプ」(川尻が幾つにも裂けている所)または「オベリベリ」(オペレペレケプの和人なまり)からといわれている。

帯広市 面積 618.94km2
 
帯広市 総人口 168,532人(住民基本台帳人口、2009年3月31日)

帯広市 人口密度 272人/km2

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帯広市 地理

東北海道西端の十勝平野のほぼ中央に位置する。市街は計画的に整備されており、帯広駅を中心に碁盤目状の区画が四方に広がるが、大通公園から北東、北西、南東、南西に対角線方向の道路(火防線)が設けられている。

1891年(明治24年)北海道庁によって帯広を基点として帯広・十勝の植民地区画の設計を開始。
1892年 帯広市街地の基礎となる壮大な碁盤目状の街区整備が行われたことにより開発は本格化する。900間四方を大画、参百間四方を中画、さらにこれらを六分割して小区画とした。これを入植者に1戸分として貸付する。
1893年(明治26年) 最初から都市としての機能を備えるため、市街地の区画整理・市街予定地区画(殖民地区画)が行なわれ、1900 戸分を測設、その後順次市街地が開放されていく。現在の石狩通(国道38号)と大通(国道236号)の交差点と基点にして60間の大区画と中央部6間の道路用地をとり東西に2分しさらにそれぞれを6間間隔で10等分したものを162坪で1戸分とした。大区画を北海道開拓時代に札幌市で始めた区画割りを帯広にも適用、1ブロックは通りを除いて1辺60間(109m程度)の正方形で条と丁目で示し、さらに12間幅の火防線を配置するなどの近代的な都市整備を実施した。これは鉄道線予定地や停車場の予定地も見込んだ計画で、また当初から、斜めの道路と格子状の道路の交わる箇所に消防署を配置する計画となっていた。開拓当時計画され幻となった十勝川河口都市も帯広市と同様の殖民区画の都市計画形態であり道路配置はそっくりで、現代でも殖民区画の都市計画がかいまみられるのは珍しい。火防線が交わる交差点は6差路となり、交通事故もしばしば起きた。現在では交差点の手前で幹線と合流するように付け替えが行われている。
1896年 貸付停止となっていた十勝植民区画地を解除。
1897年(明治30年) 国有未開地の開墾入植を奨励するための「北海道国有未開地処分法」が公布され、終戦直後まで実施する殖民地選定事業によって大量移民が始まる。このとき入植地の区画は300間(546m)四方の中区画と、その中をさらに150間×100間の小区画6個に分け、この5町歩(ha)が1戸の割当てとなった。また圃場のまわりには防風林が設けられ、日高山脈から吹き降ろす強風対策のほか、入植当時は燃料対策としても保持されていく。これらが十勝の代表的な農地景観である300間区画の圃場と幾何学的に並んだ木々が溶け込み、新緑の春、秋の紅葉、冬の雪景色など四季折々の美しい景観を提供することになる。
1918年(大正7年)「区画測設心得」で、「防風林は50間以上100間以内の幅を存置すること」と規定。
1919年(大正8年)には「殖民地選定心得」で防霧林という考え方を取り入れ、「現に林相をなさざるも将来植樹造林によりて防風若しくは防霧林の設定を必要と認めたもの」として、森林状態をなしていない場合は防風林予定地としてあらかじめ土地利用区分上は防風林に算入させ、保安林制度の拡充とともに国有保安林に編入していく。
1905年(明治38年)~1907年(明治40年) 札幌方面と釧路方面とを結ぶ鉄道が開通したことで、十勝の拠点都市として発展を遂げる。
山: 戸蔦別岳1959 m、札内岳1895 m
河川: 十勝川、札内川、戸蔦別川、岩内川、帯広川、売買川

気候
内陸部にあるため気候は寒暖の差が激しく、夏は30℃以上、冬は-20℃以下になる事もある。冬には風の弱い快晴の日も多く穏やかな気候である。快晴の日は放射冷却現象により強く冷え込む。1902年(明治35年)1月26日には最低気温-38.2℃を記録しており、日本観測史上2位。積雪量は北海道内でも少ない。その一方、夏は高緯度の割に気温が高く、フェーン現象などにより猛暑となることもある。2007年(平成19年)8月15日に35.5℃など、猛暑日の記録もある。

帯広市 歴史

1893年(明治26年) - 河西、河東、上川3郡各村戸長役場が置かれる。
1901年(明治34年) - 下帯広村8村戸長役場に改称。
1902年(明治35年)4月1日 - 下帯広村と荊苞(ばらとう)村が合併し二級町村制施行、帯広町となる。
1915年(大正4年)4月1日 - 伏古村の一部を併合。一級町村制施行。
1919年(大正8年) - 十勝毎日新聞の前身となる帯広新聞が設立、発行される。
1933年(昭和8年)4月1日 - 市制施行、帯広市となる。
1936年(昭和11年)11月 - NHK帯広放送局が開局(ラジオ第1放送、コールサインJOOG。但し、送信所は河東郡音更町にある)。
1950年(昭和25年)4月 - NHK帯広放送局にラジオ第2放送が開局(コールサインJOOC)。
1952年(昭和27年) - 帯広市にて水道事業開始。
1952年(昭和27年)3月4日 - 十勝沖地震が発生(死傷者217人、家屋全壊311戸)。
1955年(昭和30年) - 第1回七夕祭りが開催。
同年8月 - 北海道放送(HBC)帯広放送局が開局(HBCラジオ、コールサインJOHW。但し、送信所は中川郡幕別町にある)。
1957年(昭和32年)4月1日 - 河西郡川西村及び大正村を編入。
1959年(昭和34年)12月 - NHK帯広放送局に総合テレビジョンが開局(コールサインJOOG-TV)。
1962年(昭和37年)10月 - NHK帯広放送局に教育テレビジョンが開局(コールサインJOOC-TV)。
1963年(昭和38年)7月31日 - 帯広動物園が開園。
同年7月 - HBC帯広放送局にテレビ放送局が開局(HBCテレビ、コールサインJOHW-TV)。
同年7月 - 札幌テレビ放送(STV)帯広放送局が開局(STVテレビ、コールサインJOWL-TV。但し、送信所は河東郡音更町にある)

1964年(昭和39年)1月 - 帯広中央公園にて第一回帯広氷まつりが開催。
1964年(昭和39年)3月 - STV帯広放送局にラジオ放送局が開局(STVラジオ(現在は分社)、コールサインJOWM)。
1964年(昭和39年)9月27日 - 青少年科学館と児童文化センターの機能を併せ持つ帯広市児童会館が開館。
1964年(昭和39年)12月 - 帯広空港が開港。
1964年(昭和39年)12月 - NHK帯広放送局にFM放送が開局(コールサインJOOG-FM)

1968年(昭和43年) - 国体スケート大会が帯広で開催(2回目)。
1969年(昭和44年) - 北海道テレビ放送(HTB)帯広送信所が開局(但し、送信所は河東郡音更町にある)。
1972年(昭和47年) - 北海道文化放送(UHB)帯広送信所が開局(但し、送信所は河東郡音更町にある)。
1982年(昭和57年) - 百年記念館 開館(帯広市開基100年を記念し、建設)。
1985年(昭和60年) - 十勝毎日新聞系列のケーブルテレビ放送局・帯広シティーケーブル(OCTV)が開局。
1987年(昭和62年) - 帯広北高校が夏の甲子園出場。
1987年(昭和62年) - エフエム北海道(AIR-G)帯広送信所が開局(但し、送信所は河東郡音更町にある)。
1988年(昭和63年) - 帯広市営バスターミナルが廃止。
1988年(昭和63年) - 帯広市民会館が閉館。
1989年(平成元年) - 第44回 国体冬季大会(はまなす国体スケート・アイスホッケー大会)が開催。
1989年(平成元年) - 帯広駅南口に帯広市民文化ホールが開館。

1991年(平成3年) - 北海道立帯広美術館が開館。
1992年(平成4年) - 帯広市役所本庁舎が新築(地上12階、地下1階)。
1992年(平成4年)7月25日-8月23日 - 緑の地球博「みどりいむ92」が開催。
1993年(平成5年) - エフエム・ノースウェーブ(NORTHWAVE)帯広送信所が開局(但し、送信所は河東郡音更町にある)。
1997年(平成9年) - 中小小売商業高度化事業(TMO)構想が始動。
1998年(平成10年)1月17日 - JR北海道バスの帯広市内バス22系統が全線撤退廃止。十勝バス・北海道拓殖バスが継承。
2003年(平成15年) - 帯広市民文化ホールを帯広市が買収。
2004年(平成16年) - 9月下旬~10月上旬 WRCラリージャパンが初の十勝開催。
2005年(平成17年) - 帯広市立病院が閉院。
2006年(平成18年)3月3日 - 新帯広市立図書館が開館。
2007年(平成19年)10月1日 - NHK帯広放送局と民放4局(HBC・STV・HTB・UHB)が地上デジタル放送開始(送信所は河東郡音更町十勝川温泉の近くにある十勝ヶ丘に置かれた。テレビ北海道(TVh)は開局の計画はあったが凍結)。
2008年(平成20年)2月7日-市の人口が16万9895人となり、14年ぶりに17万人割れになったと市が公表。


「北海道 帯広市」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。
2009年8月02日 (日) 8:08 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

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