北見市 概要
北見市(きたみし)は、北海道網走支庁管内にある市。網走管内の中核都市。網走支庁管内で最大の人口を抱え、2006年には合併で道内8位の人口となったが、面積が広大なため人口密度は低い。
北見市 面積 1,427.56km2
北見市 総人口 125,977人(住民基本台帳人口、2009年3月31日)
北見市 人口密度 88.2人/km2
北見市 地図
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北見市 地理
網走支庁オホーツク海沿岸地域から北見盆地にかけて位置する。北見盆地は、中央部を南西から北東に流れる本流である常呂川と、支流の訓子府川・無加川・仁頃川によって形成された。
西には大雪山、東には網走、知床半島、北にはサロマ湖、南には阿寒国立公園をのぞむ。
山 : 仁頃山 (829m)、北見富士 (1291m)、武華岳 (1759m)
河川 : 常呂川、訓子府川、無加川、仁頃川、小町川
湖沼 : サロマ湖、冨里湖(ダム)
気候
海岸部に位置する旧・常呂町の地域は、夏は22度、冬は-10度程度と、季節ごとの温度差は比較的少ない。しかし近年の気象変化によりフェーン現象が多発。冬季は流氷が接岸する。
それ以外の地域は盆地にあるため気候は寒暖差が激しく、夏は約35度、冬は約-20度以下に達する。積雪量は北海道内としては少なく、年間降水量も北海道では最も少ない。全国でも有数の日照率の高さを誇り、太陽エネルギーを利用した科学研究が盛んである。
北見市 歴史
1872年(明治5年):常呂郡下に、トコロ村、チイウシ村、トウフツ村、ムエカホツネ村、フトチャンナヘ村、ノツケウシ村、テシヲマナビ村をおく。
1875年(明治8年):漢字をあて、常呂村、少牛村、鐺沸村、生顔常村、太茶苗村、野付牛村、手師学村となる。
1883年(明治16年):常呂村に、常呂郡を一円とする常呂村外六箇村戸長役場が設置される。
1897年(明治30年):土佐国(現高知県)の坂本龍馬の甥である坂本直寛らを主宰者とする移民(北光社移民団)112戸が北光社農場を開設、平民屯田兵597戸が入植。常呂村外六箇村戸長役場より分離し、野付牛村外一箇村戸長役場設置。
1911年(明治44年):網走線の池田 - 野付牛間に鉄道が開通。
1912年(大正元年)11月18日:網走線を網走本線に改称。
1914年(大正3年):常呂外四ヶ村戸長役場より鐺沸村(のちの佐呂間町)を分離。
1915年(大正4年):野付牛村より、武華村(のちの留辺蘂町)、置戸村(現置戸町・訓子府町)を分村。
1916年(大正5年):町制施行、野付牛町となる。
1921年(大正10年):端野村(のちの端野町)、相内村を分村。
1942年(昭和17年):市制施行、野付牛町から北見市となり、北見国で最初の市となる。
1956年(昭和31年)9月30日:相内村を合併。
1961年(昭和36年)4月1日:網走本線(池田 - 北見)を池北線に、網走本線(北見 - 網走)と(旧)石北線の全線(新旭川 - 北見)を併せて石北本線にそれぞれ改称する。
1979年(昭和54年)4月:人口が10万人を超える。
1986年(昭和61年):地元資本の百貨店「まるいいとう」が閉店。
1989年(平成元年)6月4日:JR池北線廃止。北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線開業 (140.0km)。
1994年(平成6年)8月7日:北見の観測史上最高温度37.0度を記録。
1996年(平成8年):開基100年を迎える。
2004年(平成16年)1月13日 - 1月16日:記録的な暴風雪に見舞われる。降雪量は171cm。
2006年(平成18年)
3月5日:留辺蘂町、端野町、常呂町と合併、4市町区域に新たに北見市を設置。
4月21日:北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線廃止。
2007年(平成19年)
1月19日:北見市都市ガス漏れ事故発生、3人が犠牲となる。
6月23日:市内の広郷浄水場に大量の泥水が流れ込み、市内ほぼ全域(北見、端野自治区)の5万8000世帯が断水して完全復旧に5日間を要した。この後広郷浄水場は、7月24日、7月26日、7月28日、8月7日にも雨、泥水の流れ込みで取水を停止し、送水を制限。
10月1日:地上デジタル放送スタート。詳細は北見中継局を参照。
10月31日:きたみ東急百貨店が閉店。
11月5日:釧路信用組合北見支店が同組合佐呂間支店の業務を承継。
2008年(平成20年)
6月1日:網走管内初のコミュニティFM放送FMオホーツク開局。
「北海道 北見市」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。
2009年8月02日 (日) 8:08 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org