夕張市 概要

夕張市(ゆうばりし)は、北海道空知支庁の市。北海道の中央部に位置し、かつては石狩炭田の中心都市として栄えた。夕張メロンの産地として知られる。しかし、2006年には深刻な財政難のあおりを受け、2007年(平成19年)3月6日をもって財政再建団体に指定され、事実上財政破綻した。

地名の由来はアイヌ語の「ユーパロ(鉱泉の湧き出る所)」から。

夕張市 面積 763.20km2
 
夕張市 総人口 11,633人(住民基本台帳人口、2009年3月31日)

夕張市 人口密度 15.2人/km2

夕張市 地図


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夕張市 地理

空知支庁南東部の山あいに位置する。人口は市域の西側、紅葉山地区から夕張地区まで、谷間を縫うように走る石勝線夕張支線に沿って集中している。市役所は過去に夕張炭鉱があった谷合いの集落の最北部に設置されている。

夕張山地と空知山地に跨る石狩炭田の南部に位置し、かつて市域に多くの炭鉱があった。市域東側には山林が広がり、その山林や集落部から流れる川は南部で合流し、夕張川として南部を渓谷を作りながら流れている。

山 夕張岳(1,668m)、冷水山(702m)
河川 夕張川
湖沼 シューパロ湖(人工)

夕張市 歴史

明治初期から炭鉱の町として栄え、空知地方でも特に多くの石炭を産出した。1874年にお雇い外国人で北海道開拓使(当時)のベンジャミン・スミス・ライマン地質学士がこの地を踏査し、夕張川流域に石炭鉱脈の存在が考えられると発表。1888年に北海道庁の技師で元ライマン調査隊隊員の坂市太郎(ばん いちたろう)が再調査により大露頭(鉱脈)を発見、入植者の募集と試掘に始まり多数の炭鉱が拓かれ、国内有数の産炭地として盛況を誇った。

1960年(昭和35年)には北炭(夕張鉱業所・平和鉱業所)・三菱(大夕張鉱業所)の三大鉱業所を中心に北炭機械工業(鉱山・産業機械製造)、北炭化成工業所(コークス・化成品製造)などの関連産業も発達し、116,908人の人口を抱える都市となった。

しかし、昭和30年代後半以降エネルギー革命が進行、海外炭との競争、相次ぐ事故、国の石炭政策の後退に直面。鉱業者側も手をこまねいていたわけではなく、鉄鋼コークス用などの原料炭(高品位炭)など価格の高い炭種の供給に活路を見出すべく、大きな期待と成算を持って三菱南大夕張炭鉱、北炭夕張新炭鉱が開発されたが、その後の鉄鋼不況により需要は伸びず、1973年に大夕張鉱業所が閉鎖して以来閉山が相次ぎ、1981年には市内屈指の規模を持ち基幹事業所だった北海道炭礦汽船(北炭)夕張新鉱で北炭夕張新炭鉱ガス突出事故が発生し、後に夕張新炭鉱を運営してきた北炭夕張炭鉱株式会社は倒産、石炭産業の衰退に拍車がかかった。石油ショックの克服を大義名分とした官・民の多岐にわたる国内資源振興策も決定打とはならず、その後の安価・良質の海外資源へのなだれ現象、そして政府の合理化政策の前に各炭鉱の経営はジリ貧となっていき、企業は国内の炭鉱から次々撤退。国内第一の規模・炭質を誇った夕張もその例外ではなかった。1990年に最後まで残っていた三菱石炭鉱業南大夕張炭鉱が閉山した。

夕張は元々炭鉱により開かれた町で、大規模な農業にも向かない地域だった上、石炭産業以外の産業基盤が皆無同然だったため雇用の受け皿がなく働き手の若者が都市へ流出し、人口が激減。街には高齢者が残る結果となり、少子高齢化が進んだ。

現在では、歌志内市、三笠市に次いで、全国で3番目に人口が少ない市で、人口密度は全国の市で最も低い。これに加え1991年より北海道開発局によって夕張川に夕張シューパロダムの建設が計画され、これに伴い大夕張地区の住民188戸が移転した。2006年よりダムは本体工事を開始し2013年に完成する予定である。ダム完成による莫大な固定資産税収入や水源地域対策特別措置法による周辺地域整備のための国庫補助などで新たな観光拠点育成としての期待がある一方、世界で唯一の橋梁形式である三弦橋の水没や公共事業依存への懸念が出ている。

現在は気温の寒暖差を生かしたメロン栽培(夕張メロン)、石炭の歴史村、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭など観光の町として町おこしを進めているが、厳しい状況にある。


 年表
1874年 北海道開拓使雇ベンジャミン・スミス・ライマン探検隊が夕張川の上流に炭層の存在を推定。
1888年 北海道庁の技師、坂市太郎がシホロカベツ川上流にて大炭層の露頭(「夕張の石炭大露頭」)を発見。
1890年 登川村を設置、村界告示され岩見沢村戸長役場の管轄となる。開拓者らの入植を開始。
1892年 夕張炭山の採炭開始、北海道炭礦鉄道 追分-夕張間開業(現在の石勝線)。
1893年 角田村(現在の栗山町)・長沼村とともに、由仁村に併合される。
1897年 由仁村戸長役場より分離、登川村戸長役場として独立。
1906年 二級町村制が施行される。
1907年 大夕張炭鉱会社が設立。
1912年 大夕張炭鉱会社を三菱合資会社が買収。
1918年 登川村を夕張町と改める。
1919年 一級町村制施行。
1920年 第一回国勢調査、夕張町人口51,064人。
1943年 市制施行、夕張市となる。
1959年 市長に橘内末吉が就任。
1960年 第九回国勢調査にて最多人口116,908人を記録。
1962年 大夕張ダム(シューパロ湖)完成。
1971年 市長に吉田久が就任。
1975年 北海道炭礦汽船夕張鉄道線廃止。
1978年 石炭の歴史村工事着工。
1979年 市長に中田鉄治が就任。
1981年 北炭夕張新炭鉱ガス突出事故発生。最終的な犠牲者は93名。
1983年 石炭の歴史村全村オープン。
1985年 三菱南大夕張炭鉱ガス爆発事故(死者62名)
1987年 三菱石炭鉱業大夕張鉄道線廃止。
1988年 開基100年、市制施行45周年記念式典挙行。
1990年 三菱南大夕張炭鉱が閉山、これにより市内の全ての炭鉱が閉山。
1991年 第1回ゆうばり国際ファンタスティック映画祭を開催。夕張シューパロダム建設計画が発表される。
2003年 市長に後藤健二が就任。
2007年(平成19年)3月6日 深刻な財政難から、財政再建団体となる。
2007年(平成19年)4月27日 市長に藤倉肇が就任。
2009年4月20日 花畑牧場 夕張 直営ショップ開業
2013年 夕張シューパロダムの完成予定年。

 財政再建問題

 財政難に陥った経緯
かつて夕張は炭鉱の街として栄えたが、「石炭から石油へ」のエネルギー政策転換により、次々と炭鉱が閉山されていった。1990年には最後の三菱南大夕張炭鉱が閉山し夕張から炭鉱がなくなった。これにより、炭鉱会社が設置した鉱員向けのインフラを市が買収する。1982年、北炭が所有していた夕張炭鉱病院を市立病院移管に対して夕張市は40億円を負担している。さらに北炭は、夕張新炭鉱での事故を理由に、鉱産税61億円を未払いのまま撤退(倒産で払えなくなったとも)。また、北炭・三菱は炭鉱住宅5000戸(市営住宅に転換)や上下水道設備などを夕張市に買収してもらい、額は151億円に達した。結果「炭鉱閉山処理対策費」は総額583億円に達した。


旧夕張ロボット大科学館:観光開発も一貫性が無かったことなどからさまざまな施設が作られたがすぐに陳腐化、閉館に追いやられた。閉館後、転用先が無かったロボット大科学館は2008年に取り壊された。また、こうした施設の建設に際して地元業者優先の随意契約が多く行われ、建設費も適正な価格に比べて相当高くついたケースも見られたほか、事業が観光客誘致よりも雇用確保に傾いたため、各施設が余剰人員を多く抱えていたことも観光関連施設の収支を悪化させる要因となった。

市は、中田鉄治元市長時代に石炭産業の撤退と市勢の悪化に対し、「炭鉱から観光へ」とテーマパーク、スキー場の開設、映画祭などのイベントの開催、企業誘致により地域経済の再生、若年層を中心とする人口流出の抑止、雇用創生などを図ったものが振るわず、逆に観光・レクリエーション関係の衰退期または観光・レクリエーション関係環境に恵まれないのに派手な観光・レクリエーション投資を行った過大な投資や放漫な経営が累積赤字として重くのしかかり、市の財政を圧迫していった。

産炭地域振興臨時措置法(以下、産炭法)が2001年に失効したことなどで、財政状況がさらに悪化、その後ほぼ破綻(はたん)状態にあったことが表面化し、2006年(平成18年)6月20日に後藤健二前市長が定例市議会の冒頭で、財政再建団体の申請を総務省にする考えを表明した。この時点では、2006年度決算を以て申請し2007年度から財政再建団体になる予定だった。

一時借入金などの活用により表面上は財政黒字となる手法をとったため、負債がふくれあがっていった。一時借入金残高は12金融機関から292億円、企業会計を含む地方債残高が187億円、公営企業と第三セクターへの債務・損失補償が120億円とされ、夕張市の標準財政規模(44億円)を大きく上回っていたため、一般的に10年とされる再建期間は、未知数だった。

また、市長の表明後、「空知産炭地域総合発展基金」から14億円の借り入れをしていることが明らかになる(「ヤミ起債」問題・以下参照)など、違法起債等の粉飾まがいの決算がここ何年も行われていた疑いがあり、北海道が調査に乗り出し、既に2006年度決算で再建団体適用状態だったことが判明した。これを受け、市長は2006年(平成18年)7月25日に2006年度中の財政再建団体を申請する方針を表明した。道は同年8月1日に夕張市の財政状況の調査に関する「経過報告」を公表した。

道は、再建期間短縮等の観点から、赤字額の360億円を年0.5%の低利で融資(市場金利との差額は道が負担)、国も地方交付税交付金などによる支援を打ち出した。これらの動きにより、再建期間は18年間の見込みとなった。財政再建団体指定は、1992年の福岡県赤池町(現福智町)以来、北海道では1972年の福島町以来、市では1977年の三重県上野市(現伊賀市)以来となる。

なお、当時の後藤市長は、北海道新聞(2007年(平成19年)4月17日)の取材に対して、2006年(平成18年)6月10日に同紙に巨額負債を報じられる以前の2月に総務省に特別交付税の陳情に行った際に財政再建団体を覚悟したと語っている。予定では2007年度に再建計画を策定する予定だったが、同紙報道により前倒しとなった。再建計画が遅れれば、負債額はさらに膨らんでいた可能性があったことも示唆している。

2006年度決算における実質公債費比率は38.1%だった。これは全国でも長野県王滝村の42.2%に次ぐ数字であり、財政再建団体を適用しなかったとしても、2008年度決算から適用される地方自治体財政健全化法の財政再生団体に該当することになっていたと想定される。


 「ヤミ起債」問題について
産炭法の失効により、同法に沿って行われていた地方交付税の手厚い分配がなくなり、地方債への依存度が高まった。そもそも地方債発行には都道府県知事の許可が必要で、2006年(平成18年)4月からは、財政難の自治体を除き、国と地方自治体が事前協議したうえ、地方自治体の判断により発行する制度に移行、夕張市など6市町(他に歌志内市、赤平市、三笠市、上砂川町、芦別市)は限度額に近い金額を起債して極端な財政危機に陥った。そこで、「空知産炭地域総合発展基金」など各種基金や、銀行・信用金庫など金融機関からの借り入れという形をとって急場をしのいだと言われている。こうしたスキームは本来、一時的に税収が不足したときや、会計制度上財政が逼迫しやすい会計年度末に少額・短期間採られることは多い常套的手段ではあるが、6市町は税収不足の補填や融資自体の返済のために借り換えに借り換えを重ね、債務は累積し、いわゆる自転車操業状態に陥った。4月1日から5月31日は決算の出納整理期間だが、その期間を悪用して旧年度の会計に新年度の会計から貸して見かけ上黒字に見せかけるなどの違法な決算操作が行われていた。さらに、北海道拓殖銀行の破綻と道内不況が追い討ちをかけた。

なお、「ヤミ起債」問題については道の関与も疑われているが、同様の問題を抱えた産炭地域自治体も多く、北海道に限った問題ではない。産炭地など鉱山地帯が終掘後自治体として維持された成功例は、日立グループが旧炭鉱や日立銅山の労働者の大部分を吸収した常磐炭田、宇部興産を中心に重化学コンビナートに作り変えた宇部炭鉱程度しかなく、世界的に見ても極めて稀である。


 財政再建計画
「映画祭」は中止、職員給与削減は2006年(平成18年)9月から実施することとなり、市長は50%(月収862,000円→431,000円)、助役は40%、教育長は25%、一般職員も15%カットとなり、4億200万円の削減となる。2007年(平成19年)4月からは、さらに削減し、市長75%(月収259,000円、年収374万円)、助役70%(月収249,000円)、教育長66%(月収239,000円)、常勤監査委員も229,000円など、徹底した削減がなされ、市長の給与は全国最低となる。市議会議員の人数も18人から9人に半減、議員報酬も311,000円から180,000円に削減される。

更には新規職員採用凍結や早期退職勧告により職員数も削減を予定している。早期退職希望者が130人を超え、定年と自己都合を合わせ、全職員の約半数の152人が2006年度末で退職した。これは当初の削減計画の人数にほぼ合致している一方、急な退職で市政の滞り等が心配されているが、市は、この早期退職により、人員削減計画の前倒しとするとしている。なお、早期退職者は、役職者が約7割を占め、部長・次長職は全員辞める。2007年度末の退職者の内訳は部長職12人全員、次長職11人全員、課長職は32人中29人、主幹職は12人中9人、係長・主査職は76人中45人、一般職が166人中46人となっている。

また、市が保有する観光施設31施設の内29施設を運営委託、売却、廃止する方針も明らかになったが、道内観光大手の加森観光を中心に委託・売却先がほぼ決定した。

市民負担も大きくなり、市民税が個人均等割3000円から3500円に、固定資産税が1.4%から1.45%に、軽自動車税が現行税率の1.5倍に増額、入湯税150円も新設される。また、ごみ処理は一律有料化、施設使用料も5割増、下水道使用料が10m3あたり1470円から2440円に値上げ、保育料は3年間据え置くが、その後7年間で段階的に国の基準にまで引き上げる。敬老パスは廃止予定だったが、個人負担額を200円から300円に引き上げて存続されることとなった。この影響もあって転出者が相次ぎ、06年・07年の二年間で人口が1割近く減少した。

公共施設に関しては、多くの施設が廃止されることになっていたが、世論の反発などもあり見直され、全廃予定だった7ヶ所の公衆トイレのうち清水沢と沼ノ沢を存続、南部コミュニティセンターは、使用料引き上げ、町内会などによる管理運営を条件に存続、スイミングセンターは夏季限定で営業する予定であったが、2008年3月に雪の重みにより屋根の一部が崩落し使用不能となり、修復も検討されたが取り壊された。図書館は、蔵書を保健福祉センターに移設し(貸し出しは継続)、廃止となる。

平成18年度・19年度共に、各種経費削減が予想以上に効果的だったことや、およそ2億円に達する寄付金があったことなどから、計画を約4億円も上回る返済を行うことに成功している。ただし、現在の計画では年度が進むに連れて返済額が増大する(19年度の計画額は11億円だが、29年度からは20億円を越え、36年度には29億円に達する)ことから、依然楽観はできない状況である。


「北海道 夕張市」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。
2009年8月02日 (日) 8:08 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

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