深川市 概要
深川市(ふかがわし)は、北海道空知支庁管内にある、北空知地域の中心都市。ソバの生産量で国内第2位を誇っている。
深川市 面積 529.23km2
深川市 総人口 24,220人
(住民基本台帳人口、2009年3月31日)
深川市 人口密度 45.8人/km2
深川市 地図
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深川市 地理
石狩平野の最北部に位置する都市。南部を除く三方を山に囲まれた地形。市中心部を東西に石狩川が流れ、その周辺に水田が広がる。また北部の山間部を雨竜川が南流してくるが、市域の平野部には殆ど入らないまま西へ抜ける。
空知地方北部の交通の要所で、多くの鉄道・道路が集積する。
気候は、やや内陸的な気候で寒暖の差が大きい。特別豪雪地帯。
深川市 歴史
地名の由来は域内を流れる大鳳川(アイヌ語「オオホ・ナイ」)の意訳「深い・川」とする説がある。
1890年 - 華族組合農場に指定。
1891年 - 道路が開通。
1892年 - 北海道庁令により現在の幌加内町の一部を含む雨竜川左岸一帯に雨竜郡深川村を設置。三条公爵、蜂須賀侯爵、菊亭侯爵による農場開拓と屯田兵入植を中心に市街地の形成と周辺開拓が進められる。
開拓当初、全道的に小麦をはじめとする畑作が奨励されたが、稲作に取り組む入植者も多く、深川でも1892年に稲の栽培に成功。その後、1896年には水田試作が本格化して土功組合も結成され、1916年に石狩川の水を引く用水路が完成されてからは各地区に水田が広がった。一方、北部の多度志地区(旧多度志町)では水利の整備がすすまず、代わりに除虫菊や食用百合の栽培で栄えた。多度志は道内産ユリ根の発祥地とされる。
1898年 - 空知太(現・滝川市)から旭川までの鉄道が開通。深川駅と納内駅の開業により駅前を中心に市街地が形成される。同時期に道路整備も進み、道道旭川深川線や道道深川雨竜線が開通するなど交通網の充実により人口も増加していった。
1901年 - 陸軍が深川、剣淵、旭川等でハマダラカとマラリアの関係を調査。当時流行していた三日熱マラリアの感染源が水田のハマダラカであることを発見。この頃の深川村の戸数3,212戸、人口14,073名に対し年平均700名強の罹患者があった。以後、防除などの対策が進んだため土着のマラリア病原虫は駆逐されている。
1902年 - 2級町村制施行、その5年後には1級町村制施行。
1910年 - 日本海の留萌と結ぶ留萌線開業。これにより深川駅は石炭のほか海産物の流通拠点となる。
1918年 - 深川町が誕生。小学校、病院、銀行、公的機関事務所の設置や、電話の開設・電灯架設などが進む。
1941年 - 幌加内を経由して道北の名寄を結ぶ深名線が全線開通。雨竜川域の鉱物や材木運搬などの貨物取り扱い増加。
1963年(昭和38年)5月1日 - 当時の深川町・一已村・納内村・音江村の4町村が合併。深川市となる。
1970年(昭和45年)4月1日 - 隣接する多度志町を編入。
1992年 - 開基100年・市制施行30年を迎える。
2004年 - いわゆる平成の大合併に向けて隣接する秩父別町、妹背牛町、北竜町、幌加内町との広域合併を目指すべく「北空知一市四町合併協議会」(法定協)を設けたが、合併推進は深川市のみで、残る4町が揃って合併を拒否したため、2005年(平成17年)1月に協議会は解散。
2006年(平成18年)12月 - 市内の公共工事をめぐる官製談合が発覚し、市長などが逮捕される。(深川官製談合事件)
2007年(平成19年)1月 - 前市長の逮捕辞職にともなう出直し市長選では、元衆議院議員の山下貴史が当選。
「北海道 深川市」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。
2009年8月02日 (日) 8:08 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org