板橋区 概要
板橋区は、東京23区の北西部に位置する。現在ではほぼ全域が市街地になっているが、工業地域もある。
板橋区 面積 32.17km2
板橋区 総人口 536,363人
(推計人口、2009年5月1日)
板橋区 人口密度 16,670人/km2
板橋区 地図
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板橋区 地理
武蔵野台地の北端にあたり、概ね北部は低地、南部は台地となっている。北で荒川、北西で白子川によって埼玉県と接する。荒川に近い北部では、新河岸川が西から東に流れる。南部では石神井川が西から東に横切る。区内は東京の市街地で、住宅地・商業地のほか、北部には工場が多い。
位置・面積
板橋区は、東京23区のうち北西部に位置し、東経139度37分から同44分、北緯35度43分から同48分の間にあり、面積は32.17km2で、23区中9番目である。
地形
東西は北部で約7.1km、南部で約4.5km、南北は東部で約6.7km、西部で約3.4kmあり、南東から北西に長い地形。
地質
当区の高台は武蔵野台地の一部(平均海抜30m前後)。
この台地は数万年前、古い荒川や多摩川などが流れるはんらん原。武蔵野(成増)礫層の砂利は当時の川が積み残した川砂利である。その後、川の流れはこのはんらん原を掘り下げ、今の荒川や多摩川に、とり残された部分に富士山などの火山灰(関東ローム層)がたい積し、今日の台地をつくるに至った。また礫層の下の地層から貝化石がみつかっているが、これは15万年前の東京層のもので、この層がかつて海の底であったことを物語っている。成増礫層は地質学者の間でも有名な礫層である。
河川: 荒川、新河岸川、白子川、石神井川
湖沼: 浮間ヶ池
板橋区 歴史
平安時代ころ、石神井川にかけられていた板橋が当時としては珍しかったため、そのまま地名になったという説が有力である。江戸時代以降は中山道が下板橋を通るようになったためにそちらを指すようになった。板橋宿は江戸四宿のうちのひとつであり、中山道の江戸を発ってから最初の宿場町で、加賀藩下屋敷もあった。
沿革
1932年(昭和7年)10月1日:東京府北豊島郡板橋町、上板橋村、志村、赤塚村、練馬町、上練馬村、中新井村、石神井村、大泉村の9町村が東京市編入により合併され、板橋区となる。
1935年(昭和10年):田園区画の整理に伴い、板橋三丁目(旧・板橋町大字中丸字中原、現・南町)と豊島区長崎東町三丁目(旧・長崎町大字長崎字高松、現・高松二・三丁目)の間で境界変更。
1939年(昭和14年):田園区画の整理が完了し、板橋三丁目(旧・板橋町大字中丸字中原、現・南町)と豊島区高松町二丁目(旧・長崎町大字長崎字前高松、現・高松二丁目)の間で境界変更。
1943年(昭和18年)7月1日:東京都制施行により東京府と東京市が合併し東京都が誕生、東京都板橋区となる。
1947年(昭和22年)5月3日:地方自治法施行、板橋区は22特別区のひとつとなる。
1947年(昭和22年)8月1日:旧・練馬町、上練馬村、中新井村、石神井村、大泉村のほぼ全域及び小竹町(旧・上板橋村大字上板橋字小竹)、江古田町(旧・上板橋村大字上板橋字江古田、現・旭丘)を練馬区として分区。
1950年(昭和25年):埼玉県北足立郡戸田町(現・戸田市)大字上戸田の一部約0.2平方キロメートルが移譲され、舟渡三丁目(現・四丁目の一部)となる。
1951年(昭和26年)8月:第一回いたばし花火大会が開催される。
「東京都 板橋区」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。
2009年8月02日 (日) 8:08 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org