立川市 概要

立川市(たちかわし)は、東京都の多摩地域にある市。

東京都の島嶼部を除く地域のほぼ中央の、多摩川中流左岸武蔵野台地上に位置する。

JR中央本線、南武線、青梅線が乗り入れている立川駅、多摩都市モノレール線の立川北駅、立川南駅を中心に商業施設やオフィスが集積し、町田駅、吉祥寺駅、八王子駅と並ぶ多摩地域の中心都市の一つとして発展している。立川駅は、東京駅から中央線特別快速電車で40分強、新宿駅からは中央線特別快速で30分ほどである。2001年の「東京の新しい都市づくりビジョン」で核都市に指定されている。

江戸時代までは甲州街道および五日市街道沿いの村落に過ぎなかったが、明治以降、鉄道が敷設され市域南部の立川駅がターミナル駅となり、さらには1922年(大正11)陸軍立川飛行場が設置されたことによって商業・工業の集積が進んだことが、今日の繁栄の礎となっている。飲食産業はここ数年で町田市と共に急成長している。 一方で農業も盛んでウド(独活)は立川の特産品として有名である。

立川市 面積 24.38km2
 
立川市 総人口 177,795人
(推計人口、2009年5月1日)

立川市 人口密度 7,290人/km2

立川市 地図


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立川市 地理

武蔵野台地上にあり、市域のほとんどは平地であるが、南部の多摩川沿いに立川崖線、北東端に国分寺崖線が見られる。標高は北部から南部へゆるやかに低くなっている。南北に残堀川が流れており、その旧河道にほぼ沿う形で立川断層が走っている。

立川市 歴史

縄文時代 多摩川沿いの段丘に、大和田遺跡などの村落が形成される。
平安時代 立川氏が地頭となり、戦国時代末期まで領有する。
1455年 分倍河原の戦いにおいて鎌倉公方足利成氏が立河原で追撃戦を行い、敵大将上杉憲秋がこの地で致命傷を負って高幡不動(異説あり)で自害した。
1504年 立河原の戦いが起こる。関東管領上杉顕定の大軍が上杉朝良・今川氏親・北条早雲の連合軍に敗退する。
1600年代 玉川上水の開通により、砂川で新田開発が進み、五日市街道周辺に村落が形成される。
1889年 町村制施行に伴い、神奈川県北多摩郡立川村および砂川村が成立。甲武鉄道(現・JR中央線)新宿~立川間開通。
1893年 神奈川県から東京府に移管される。
1922年 立川村に、陸軍飛行第5連隊の立川飛行場が設置される。
1923年 立川村が町制施行し立川町に。
1940年 立川町が市制施行し立川市に。(東京市<現在の23区>、八王子市に次いで東京で3番目に市制をしいた)
1945年 敗戦にともないアメリカ軍により立川飛行場は接収、立川基地に。立川は基地の町として全国に知られるようになる。
1950年 朝鮮戦争勃発。立川基地が出撃拠点となる 。
1954年 砂川村が町制施行し、砂川町に。
1955年 立川基地拡張計画が発表される。「砂川町基地拡張反対同盟」が結成される。
1956年 砂川闘争が起こる。
1963年 砂川町が立川市に編入。
1969年 立川基地拡張計画が中止される
1965年 ベトナム戦争勃発。立川基地は再び出撃拠点となる。第二次砂川闘争が起こる。
1968年 西武鉄道拝島線玉川上水~拝島間開通。
1973年 立川市長による自衛隊員住民登録拒否事件が発生。市長ら2名起訴猶予処分。
1977年 アメリカ軍が横田基地に移転。立川基地は日本に返還。陸上自衛隊立川駐屯地、国営昭和記念公園、立川広域防災基地などに転用される。
1994年 立川基地跡地の一部に、ファーレ立川完成。
1998年 多摩都市モノレール 立川北~上北台間開通。
2000年 多摩都市モノレール 立川北~多摩センター間開通。


「東京都 立川市」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。
2009年8月02日 (日) 8:08 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org