府中市 概要

府中市(ふちゅうし)は、東京都の多摩地域に位置する市で、多摩北部に区分される。
東京都のほぼ中央に位置する都市で、武蔵野・多摩地域の東部に当たる。東京都区部の新宿から22km西、日本橋からは30km西に位置する。

人口は東京都内では東京23区、八王子市、町田市に次いで第4位。

府中町と多磨村および西府村の1町2村が合併して、1954年(昭和29年)4月1日に「府中市」が誕生した。

律令時代には武蔵国の国府が置かれた都市であったため、武蔵国の国府という意味で府中と付いた。他の「府中」と区別する為に「武蔵府中」とも呼ばれる(例:武蔵府中郵便局、武蔵府中税務署)。市内に府中町も存在する。名称詳細については「#歴史」にて後述。

西暦645年の大化の改新によって、武蔵国の国府が置かれ、政治や経済と文化の中心地として栄えてきた。江戸時代は甲州街道の宿場町として栄えた。旧北多摩郡。

大化の改新後武蔵国の国府所在地であったことが知られており、古代より栄えていたことがわかる。鎌倉時代にも要衝地域として重要な地位を占めていた。江戸時代には八王子に次ぐ主要な宿場町として、また近在の物資の集散地として発展する。戦後も多摩地域の主要都市として行政機関、病院等の公共機関が数多く集積する。

交通網としては上記の地理的、歴史的な観点から現在でも東京都区部近郊の交通の要衝として、東西南北(区部、東京郊外、神奈川県および埼玉県)を結ぶ。これは国府設置以来中心地にある大國魂神社を基点に発達していった事が大いに影響されている。

武蔵野線、南武線、京王線の交差駅を持ち、道路網では甲州街道、中央自動車道を介して東西の区部と郊外とを結び、府中街道、鎌倉街道を介して南北の神奈川県(川崎市・相模原市方面)と埼玉県(所沢市方面)を結ぶ。市内はバス網が充実しており、中央線の各駅から府中市方面に向かって多くの路線が乗り入れている。

生活充実度としては非常に高く、多くの行政機関、病院等が集積し、大企業の研究開発所および工場等の大規模な施設も多い。平坦地でありながら多くの緑を有し、広い公園も沢山ある。

市内全域に1万個以上もの集積型の大きな「ゴミ箱 = ダストボックス」が配置され、美化面からも非常に評価が高く、全国に広がっていった。

医療面でも市独自に夜間、休日診療環境を用意し、他市に先駆け整備し、育児面では全小中学校への学校給食提供を実施する等、育児世代に高い人気を持つ。加えて防犯意識が強く、不審者情報の共有、連絡が行われている。

高齢者福祉面からも力を注ぎ、市内の各地域「文化センター」での入浴設備提供、高齢者見守りネットワーク作りの整備を実施し、11ヶ所の高齢者在宅介護支援センターを拠点として提供している。

特色の1つとして、夜間人口、昼間人口がほぼ同一であり、又、市民の半数以上が市内に通勤・通学している。これは近隣のベッドタウン都市とは違い、職住近接した生活環境であることを示している。

これらから市民の満足度が高く、市のアンケートでもほぼ全市民が将来も住み続けたい街として回答している。

また、「生活実感値」満足度都内第一位である。(参考:住宅・不動産情報ポータルサイト「HOME’S」調査報告 2008年東京都内生活者実感ランキングベスト20)

日本記録としては、選挙投票開票時間日本一(1992年市長選挙での33分)がある

府中市 面積 29.34km2
 
府中市 総人口 252,729人
(推計人口、2009年5月1日)

府中市 人口密度 8,610人/km2

府中市 地図


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府中市 地理

多摩川中流左岸の河川段丘に広がり、多摩川対岸に多摩丘陵を望む。市の南辺は多摩川と一致する。市の中央やや南を府中崖線が、北辺に沿って国分寺崖線が、それぞれ東西に走っている。前者の高さは10mから15m、後者は10mから20mである。北東部に標高79mの浅間山(せんげんやま)があり、麓からの高さは30mほどである。 この2本の崖線と浅間山付近を除けば、ほとんどが平坦な土地で可住地面積率は99.7%である。府中崖線の南側を多摩川低地、両崖線に挟まれた部分を武蔵野台地の立川面、国分寺崖線の北を同じく武蔵野面と呼ぶ。なお、崖線をこの地の方言でハケと呼ぶ。府中崖線の南側に沿って府中用水が流れている。市の北東端を、多摩川の支流の一つ野川が流れている。

府中市 歴史

 古代
旧石器時代からの遺跡が確認されており、分梅町・美好町付近には古墳群もある。大化の改新後、国司が東国に派遣された際、武蔵国造の根拠地・大宮を避け、府中の地に武蔵国の国府が置かれた。国府は大國魂神社付近と推定されており(発掘調査によって神社東隣に国衙の一部と推定される遺跡を発見、市がその土地を買い取り公開されている)、それ以後関東における政治、経済、文化の中心地として栄えてきた(なお、武蔵国分寺は国府から約2km、現在の国分寺市内に置かれた)。古代の東山道武蔵路は、武蔵国府から北上する官道であった。


 中世
鎌倉幕府の時代は、古文書の中から重要拠点として記載され、中世の鎌倉街道が市内を通り(現在も一部が残り、同名称の街道が併存)、新田義貞と鎌倉幕府軍が争った古戦場もある(1333年、分倍河原の戦い)。


 近世
江戸時代には甲州街道沿いが宿場町として栄え、周辺の農地は大部分が天領であった。明治時代以後は北多摩郡の郡役所が置かれた。昭和になって軍の施設(府中基地)も置かれたが、第二次世界大戦期まで主な産業は農業であった。


 現代
第二次大戦後は、1950年代以後に宅地開発が進み、行政機関、病院、大企業の研究開発所および工場機能の集積も相まって人口が急増し、東京都下の拠点都市として発展する。


 年表
645年:大化の改新に伴い、武蔵国の国府が府中に置かれる。
1602年:甲州街道が整備され、府中宿(東海道府中宿とは別)が置かれる。
1868年:韮山県設置、市域の南西部が県域になる。残りは武蔵知県事所管となる。
1869年:品川県設置、市域の南西部を除き、県域となる。
1871年:廃藩置県により順次翌年までに神奈川県に編入。
1878年:多摩郡が分割され、市域は北多摩郡域となり、北多摩郡役所が府中の番場宿に置かれる。
1880年:市域中心部の4町(新宿町、本町、番場宿町、八幡宿町)と屋敷分村が合併して「府中駅」となる。
1889年:市域東部の8村が合併して多磨村に、西部3村が合併して西府村になる。府中駅が名称を変えずに町制施行(1893年に府中町となる)。
1893年:三多摩(北多摩、南多摩、西多摩)郡が東京府に移管された。
1910年:東京砂利鉄道(後の国鉄下河原線)開通。
1913年:電話開通。
1916年:京王電気軌道(現:京王線の一部)開通。
1922年:多摩鉄道(現:西武多摩川線)開通。
1925年:玉南電気鉄道(現:京王線の一部)開通。
1929年:南武鉄道(現:JR南武線)開通。
1943年7月1日:東京府が東京都となる。
1954年4月1日:府中町、多磨村、西府村の合併により市制施行(広島県の同名の市よりも1日遅れ。東京都下では6番目)。
1956年:国道20号バイパス(新甲州街道) 東府中 - 本宿間開通。
1961年:国道20号バイパス 東府中 - 調布間開通。
1968年12月10日:三億円強奪事件発生(栄町)。
1973年:国鉄(当時)武蔵野線開通。それに伴い、下河原線旅客輸送は廃止された。


「東京都 府中市」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。
2009年8月02日 (日) 8:08 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org