昭島市 概要
昭島市(あきしまし)は、東京都の多摩地域にある市。
市の中央北部にある、JR青梅線昭島駅を中心に商業施設等が立ち並び、主としてこの地区がこの市の経済活動の中心となっている。
昭和中期以降の工場誘致、大型団地の建設等によって人口の増加、経済活動の進展がもたらされ、現在では東京のベッドタウンとしての役割が大きい。世帯数は50,071世帯(2007年9月1日)。
昭島市 面積 17.33km2
昭島市 総人口 111,774人
(推計人口、2009年5月1日)
昭島市 人口密度 6,450人/km2
昭島市 地図
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昭島市 地理
都心より約35キロメートル西の多摩川の左岸に位置しており、市北部には玉川上水が流れている。また、市の南を流れる多摩川に向かって市域が全体的に北西から南東へ向かって緩やかに傾斜している。市域の標高は、最高地点で海抜170.72m、最低地点で76.68mとなっている。(河川部分は除く)
市の東西を貫くJR青梅線の線路を境として、北部では団地、工業地、ゴルフ場、国営昭和記念公園の敷地などが大きな面積を占める。それに対し南部では主として住宅地の占める割合が大きい。だが、最南部である多摩川の河岸付近地域には団地や学校が比較的多く存在している。
河川: 多摩川、玉川上水
昭島市 歴史
古代・中世
952年、洪水により多摩川上流の日原村の日原鍾乳洞に安置されていた大日如来像が玉川花井の島(大神の中州)に流れ着き、打ち上げられた尊像は村人らに拝まれるようになり、村人らは後にお堂を建てて坐像を安置した。そのため、この地域に拝島という地名が起こった。その後、滝山城築城時に、滝山城の鬼門よけとなる現在の位置に大日堂を遷し、坐像を祀った。
近世
1521年に多摩川対岸に滝山城が築城されると、城下町としての様相を呈してきた。文禄年間に奥多摩街道と日光脇往還が交差するところに拝島宿が形成され、1652年より八王子千人同心が日光勤番の任務をする際に、拝島の渡しを通り往来をしていたため、拝島宿は人馬の継ぎたて役として次第に宿場町として栄えてきた。
1685年には、多摩川右岸にあった作目村が洪水で流出し、村民が対岸の田中村(現在の田中町)付近に避難し、定着した。
明治時代~昭和初期
この地域では明治時代末より製糸工場が相次いで操業を開始し、また大正時代に入ると市域一帯に桑が植えられるなど、この時期養蚕業が特に盛んであった。当時この地域は蚕種(カイコの卵)の生産を中心として、全国的に見てもかなりの規模を誇る養蚕村となっていた。しかし昭和時代に入ると、生糸価格が急激に下落していったために養蚕農家の戸数は減少し、この地域で養蚕業はほとんど行われなくなった。
昭和初期~戦時中
1922年に設置された立川飛行場が1933年に陸軍専用になったことを受け、立川飛行場に近かったこの地域は、航空機製造などの大規模な軍需工場が建設されるようになり、1938年に陸軍航空工廠が移転してくると、合わせて大規模な従業員住宅建設が行われることとなった。特に近代化された八清住宅周辺では市場や映画館などが作られて商業が活性化し、繁華街が形成されることとなった。
戦後~現代
戦後は都心への通勤圏として近郊住宅地が発展し、大型団地建設などで人口がさらに増加した。また、1957年に制定された工場誘致条例によって工業団地が造成され、近年では電子機器などのハイテク産業が発展した。
年表(明治以降)
1889年4月1日 神奈川県北多摩郡郷地村・福島村・築地村・中神村・宮沢村・大神村・上川原村・田中村・拝島村が成立。9ヶ村で組合村を結成。
1893年4月1日 三多摩の東京府移管。
1902年 拝島村が組合村から分離独立。8ヶ村組合に。
1928年 8ヶ村が合併し昭和村に。
1941年 昭和村に町制施行。北多摩郡昭和町に。
1954年5月1日 昭和町と拝島村が合併、昭島市発足。(昭和町の「昭」と拝島村の「島」を組み合わせて「昭島市」という名前になった。)
「東京都 昭島市」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。
2009年8月02日 (日) 8:08 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org