福生市 概要

福生市(ふっさし)は、東京都の西部、都心から約40kmの多摩地域の中部に位置する市。

在日アメリカ空軍横田基地が市域の約3分の1を占め、実質的な行政面積は6.92km2である。これは多摩地域において狛江市についで小さく、全国でも4番目に小さな市である。また実質的な人口密度は1km2あたり8,825人であり、多摩26市中11位、外国人比率は3.8%と第1位である(2007年4月1日現在)。

総人口は60,774人(男30,604人、女30,170人)、総世帯数は28,968世帯(2009年4月1日現在)。人口は1991年11月に6万人を突破して以来、頭打ちになっている。

市名の由来には諸説あるが、北方から来る敵を防ぐ要衝であった所から来ていると考えられている。「ふっちゃ」とも「ふっつぁ」とも発音されることがある。


福生市 面積 10.24km2
 
福生市 総人口 60,283人
(推計人口、2009年5月1日)

福生市 人口密度 5,890人/km2

福生市 地図


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福生市 地理

市域の大部分が武蔵野台地の西端、多摩川中上流左岸の河岸段丘上に広がる。多摩川とほぼ平行して、羽村市の取水堰から引き入れられた玉川上水が通じ、また、河岸段丘の境である立川崖線には湧水がみられる。標高は海抜110m前後で、最高点は143.5m、地表の最低点は104mである。(市の南端の多摩川の水面が計測上の最低点で、97.5m)

福生市 歴史

近世期頃までにほぼ現在の市域と重なる2村が成立した。すなわち福生村と熊川村である。初期には、他の多摩川流域の村々と同じく都筑郡古佐(ふっさ)村などと記された文書もあるが、都筑郡に属していたことを確実に示すには至っていない。江戸時代初期には両村とも旗本領と幕領の混在する相給地であったが、享保期には福生村がすべて幕領となったのに対し、熊川村は幕末に至るまで旗本田沢氏領・長塩氏領と幕領の相給地であった。近世後期になると農業生産高の増大に伴い、酒造などの農間余業が営まれるようになる。福生村名主の田村家による酒造業は代々引き継がれ、現在も「嘉泉」の銘柄で知られる。また、幕末・明治初期には熊川分水の引き入れにより、熊川村名主石川家でも酒造が行われるようになった(こちらも「多満自慢」の銘柄で現在も知られる)。幕末期、文政の改革により組合村が結成されると、田村家当主の十兵衛は拝島村組合(26村)の惣代を務めた。


 年表(明治以降)
1871年8月29日(旧暦7月14日) - 廃藩置県により、神奈川県に編入。
1889年4月1日 - 福生村・熊川村組合村が成立。
1893年4月1日 - 東京府に編入。
1940年8月15日 - 陸軍多摩飛行場(現在の横田基地)が開設。
同年11月10日 - 福生村と熊川村が合併し町制施行、西多摩郡福生町となる。
1945年9月4日 - 日本の敗戦に伴い、多摩飛行場が米軍により接収される。
1970年7月1日 - 市制施行により福生市となる。
2008年3月31日 - 二棟のタワーとそれを結ぶフォーラム、その上の丘の広場からなる、延べ床面積10,228.77m2の市役所新庁舎完成。(設計、山本理顕設計工場)


「東京都 福生市」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。
2009年8月02日 (日) 8:08 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org