八戸市 概要

八戸市(はちのへし)は、青森県東南部に位置し、太平洋に面する特例市で、県下第二の都市である。

八戸市は南部地方の中心都市であり、八戸都市圏は約33万人の人口を擁する。また商圏は隣接する岩手県北東部に及び、商圏人口は東北地方有数の約60万人を誇る。

伝統芸能であるえんぶり(?)及び八戸三社大祭、騎馬打毬は共に国の重要無形民俗文化財に指定されている。

伝統工芸品 「八幡馬」「八戸焼」「南部姫毬」など

2002年12月に東北新幹線が八戸駅まで延伸開業し、東京駅まで最短2時間56分で結ばれた。

『氷都八戸』八戸市はスケート、アイスホッケーが盛んで実業団体やジュニアチーム、女子チーム、素人アイスホッケーを含めると40チームにものぼる。

八戸市 面積 305.19km2
 
八戸市 総人口 238,729人
(推計人口、2009年5月1日)

八戸市 人口密度 782人/km2

八戸市 地図


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八戸市 地理

河川: 馬淵川、五戸川、奥入瀬川、新井田川

八戸市 歴史

 古代
縄文時代の遺跡として是川遺跡や風張遺跡がある。風張遺跡からは縄文時代後期の米粒[1]が出土している。また、是川遺跡からは数々の工芸品が出土している。その後南部氏が治めるようになるまで蝦夷の土地であり、律令制の及ばない地であった。


 中世
建久2年(1191年)、甲斐国の南部氏が北東北一帯を源頼朝から賜ったとされているが、南部氏が実際に北東北に移ってきたのは南北朝時代である。建武元年(1334年)、南部氏分家の南部師行が根城を築き、根城南部氏の祖となった。根城南部氏は寛永4年(1627年)、本家盛岡南部氏の命により遠野に居城を移した。寛文4年(1664年)、南部重直が世継ぎを決めずに亡くなったため南部藩は御家断絶となる。幕府は南部藩10万石を八戸2万石と盛岡8万石に分け、八戸藩を南部直房に与え八戸城が築かれた。これが八戸藩の始まりである。なお、八戸藩の領地と現在の八戸市の領域にはかなり違いがあり、久慈市あたりまでが八戸藩であった。

八戸城は現在の三八城公園にあった。城下町には三日町、十三日町など市の立つ日を名前とした街が並んでおり、現在も市の中心地となっている。


 近代
港町である八戸市は、港湾と共に発展してきた。八戸藩誕生のころ、八戸の港は鮫浦と呼ばれる漁港であった。また、新井田川河口は湊川口と呼ばれ、こちらも漁港および商港として重要な拠点であった。大正4年(1915年)、鮫浦港修築工事が開始され、昭和4年(1929年)に商港に指定されると鮫浦と湊川口を合わせて八戸港と呼ぶようになった。また、大正13年(1924年)の八戸大火により、中心街の町並みが大きく変貌を遂げた。


 現代
また、八戸市には馬淵川と新井田川という二本の河川が流れているが、特に馬淵川は蛇行が激しく流量も多いため、水害の多い河川であった。特に河口部分で馬淵川が大きく曲がって新井田川と合流するような形で太平洋に注ぎ込んでいた。昭和12年(1937年)、馬淵川の改修工事(河口付近の直線化)が開始されたが難航し、戦争のために中断された。昭和24年(1949年)に工事が軌道に乗り、昭和36年(1961年)に完成した。これにより水害がなくなり、臨海地域を工業地帯として利用可能となった。

昭和36年に新産業都市に指定されると臨海部に火力発電所、製紙業、非鉄金属工業などの工場が相次いで進出し、工業港としての整備が本格化した。


 沿革
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制により三戸郡八戸町となる
1901年(明治34年)7月1日 - 三戸郡長者村を合併
1929年(昭和4年)5月1日 - 三戸郡八戸町・小中野町・湊町・鮫村が合併し、八戸市誕生。
1942年(昭和17年)4月1日 - 三戸郡下長苗代村を編入。
1954年(昭和29年)12月1日 - 三戸郡是川村を編入。
1955年(昭和30年)4月1日 - 三戸郡館村、上長苗代村、市川村を編入。
1955年(昭和30年)10月20日 - 三戸郡豊崎村を編入。
1958年(昭和33年)9月10日 - 三戸郡大館村を編入。
2005年(平成17年)3月31日 - 三戸郡南郷村を編入。
(南郷村の村域は地域自治区「南郷区」となる。地域自治区が導入されたのは上越市に次いで2例目)


「青森県 八戸市」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。
2009年8月02日 (日) 8:08 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org