北九州市 戸畑区 概要
戸畑区(とばたく)は、福岡県北九州市を構成する7区の行政区の一つである。北九州市の行政区のうち最も面積の小さい区である。
戸畑祇園大山笠行事は国の重要無形民俗文化財に指定されている。
戸畑は明治の中期までは寒村で、人口も約3,000人であったが、隣接する八幡で1901年八幡製鐵所が操業したことを契機に、1910年に戸畑鋳物(現・日立金属)、1914年に旭硝子、1921年に八幡製鐵所が戸畑に進出したことで、工業化が進んだ。市制施行は旧5市の中で最も遅かったが、昭和初期より区画整理事業を積極的に進め、住宅地としての開発が急速に進み、市制施行時の1924年には約38,000人だった人口が1947年には現在の人口よりも多い約68,000人に、5市合併の1963年にはピークの約109,800人となった。その後区内に多く存在した新日鉄をはじめとする社宅から、北九州市郊外へ持ち家化が進むなどしたため、人口は減少し、最近10年間は漸減~ほぼ横ばい傾向にある。
近年は1999年に日立金属工場跡地へ戸畑サティがオープンしたことをきっかけに住宅地として再評価され、マンション開発がさかんに行われている。
なお、戸畑区は昼間人口が夜間人口を上回っており、昼夜間人口比率は117.2%(2005年国勢調査)で、小倉北区の134.1%に次いで2番目(北九州市全体では102.3%、100%を超える区は、前出の2区に八幡東区を加えた3区のみ)である。
戸畑区 面積 16.66km2
戸畑区 総人口 62,513人
(推計人口、2009年5月1日)
戸畑区 人口密度 3,750人/km2
北九州市 戸畑区 地図
大きな地図で見る
北九州市 戸畑区 地理
北九州市の中央部に位置している。区域北部・北西部の海岸は洞海湾に面し、北東部は響灘・関門海峡に面している。区域北部にある新日本製鐵八幡製鐵所戸畑地区が区の面積の半分を占める。
北九州市 戸畑区 歴史
名護屋崎、牧山古墳の古墳群において、約1,400年前の人骨、鏡、銀鏡、土器の副葬品が発見されている。日本書紀では戸畑は「名護屋」として登場している。
戸畑(とばた)の地名が確認できる最古の資料は、1396年(応永3年)の麻生氏の所領目録「惣諸浦塩浜其外所々目録(そうしょうらしおはまそのほかしょしょもくろく)」において、「戸畑浦」として登場しているものである。一方、奈良時代に記された万葉集には「飛幡(とばた)の浦」として、筑前風土記には、「鳥旗(とりはた)」として登場している。
旧戸畑市は北九州市の前身の5市で唯一、北九州市発足まで一度も合併を経験しなかった。
1515年(永正12年)鳥旗町に照養寺建立。
1615年(慶長20年)中の島城(80×80メートル)周囲500メートルの島。黒田長政が築いた城が一国一城令で壊される。
1701年(元禄14年)筑前国、豊前国の国境が境川に決められる。
1788年(寛政元年)天籟寺の六地蔵建立。
1803年(享和3年)戸畑祇園大山笠行事が始まる。
1874年(明治7年)鳥旗小学校(戸畑)が開校。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、遠賀郡戸畑村・中原村が合併し戸畑村が発足。
1899年(明治32年)6月10日 - 町制施行。戸畑町となる。
1901年(明治34年)渡し場付近の埋め立て。
1902年(明治35年)小倉~戸畑間に鉄道開通し、戸畑駅が開業。
1908年(明治41年)鹿児島本線が戸畑経由となる。
1909年(明治42年)戸畑で初めての電灯(800戸)
1910年(明治43年)
安川敬一郎・松本健次郎が明治専門学校(現在の九州工業大学)、私立明治尋常小学校(現在の明治学園)を創立。
戸畑鋳物(日立金属)が操業(1987年まで)。
1912年(大正元年)小倉~戸畑間に九州電気軌道による路面電車開通(1928年、幸町~中央町間)大渡川渡船(若戸渡船が就航)
1914年(大正3年)旭硝子が操業。
1917年(大正6年)東洋製鉄が操業~8年久原製鉄と合併。
1921年(大正10年)東洋製鉄が八幡製鉄所戸畑作業所に。
1922年(大正11年)中原海水浴場が出来る。(当時は松原と白浜の海岸)
1924年(大正13年)9月1日 - 市制施行により、戸畑市となる。
1929年(昭和4年)
共同漁業(現在の日本水産)が下関から進出。以後は遠洋基地、捕鯨基地として栄える。
東洋製罐操業。
1930年(昭和5年)戸畑市役所新築完成。博覧会を開催。
4月2日若戸渡船転覆。死者73人。
1931年(昭和6年)大谷浄水場が完成。水道が敷かれる。
1932年(昭和7年)土地区画整理事業を始める。~昭和47年。
1934年(昭和9年)若戸渡船に貨物汽船(フェリーの発祥と言われている)。
1936年(昭和11年)明治製菓戸畑工場操業開始。
1940年(昭和15年)洞海湾の中の島を撤去。
1962年(昭和37年)若戸大橋開通。
当時「東洋一の吊り橋」と言われ、開通を記念し、若松、戸畑で「若戸博」を開催。
1963年(昭和38年)
2月10日 - 戸畑市が小倉市・八幡市・門司市・若松市との合併により、北九州市の一部となる。
4月1日 - 北九州市が政令指定都市となり、旧戸畑市部分は戸畑区となる。なおこの時、現北九州市役所庁舎完成までの暫定措置として、旧戸畑市役所庁舎が仮市役所となった。
1974年(昭和49年)北九州市立美術館が鞘ヶ谷に開館。
1990年(平成2年)新日本製鉄八幡製鉄所の事務所(総合センター)が戸畑区飛幡町に移転。
1993年(平成5年)若戸大橋に歩道がなくなり、4車線に。
1997年(平成9年)「戸畑まちづくり構想」策定。(平成25年までの計画)
1999年(平成11年)戸畑駅が約150m移動、戸畑サティオープン。
2002年(平成14年)ウェルとばた開館。
2007年(平成19年)戸畑区役所が新池1-1-1から千防1-1-1へ移転。
北九州市の欄も参照。
「福岡県 北九州市戸畑区」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。
2009年8月02日 (日) 8:08 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org