嘉麻市 概要

嘉麻市(かまし)は、福岡県筑豊地方南部の市。2006年3月27日、山田市と嘉穂郡の稲築町・碓井町・嘉穂町が合併して誕生。

市名は一般公募に基づくもので、この地域の旧郡名であった「嘉麻郡」(1896年に嘉麻郡と穂波郡が合併して嘉穂郡となる)に因む。

一旦は、飯塚市、山田市、嘉穂郡の2市8町での合併協議会が設立されたが、桂川町が合併協議会を離脱したためこの合併は成立せず、上述の通り、山田市と嘉穂郡3町での合併が協議・成立した。

嘉麻市 地理

福岡県のほぼ中央部、飯塚市の南、朝倉市の北、田川市・郡の西に位置する。内陸気候のため寒暖の変動が激しい地域で、雪が降ると積雪することもある。かつて筑豊有数の炭鉱都市として栄えたが、現在はすべて閉山しており人口減少や急激な過疎化が進んでいる。市域中央部を遠賀川が流れ、市域南部は標高1000m以上の筑紫山地が連なる。

山:熊ヶ畑山・帝王山
峠:大隈峠・百々谷峠・熊ヶ畑峠・日吉峠・八丁峠・嘉麻峠・釜蓋峠
河川:遠賀川

嘉麻市 歴史

安土桃山時代
戦国後期までに、現市の全域は秋月氏が支配していた。豊臣秀吉が九州征伐で攻めてきた時は、農民たちが秀吉に協力し、一夜で城を造った事で有名である(この後、秀吉は感謝の印として、農民たちに陣羽織を送った。現在は市内の大隈地域(旧嘉穂町大字大隈)にある)。島津氏との同盟を重んじ秀吉に抗戦した秋月氏は日向高鍋に転配され、当地は福岡・黒田氏の領地となった。

江戸時代
黒田長政は遺言によって三男の黒田長興に5万石を分知し、秋月藩を立藩させた。以後、秋月藩は明治まで福岡藩の支藩として秋月(現在の朝倉市)を城下町として、黒田氏が支配した。この間、大隈は当地の中心地として栄えた。

明治時代~昭和時代前期
明治維新後、現市の全域では石炭産業とその関連産業が起こり、大いに繁栄した。中でも、熊田村(後の山田市)や、碓井村(後の碓井町)、及び稲築村(後の稲築町)は採炭地として、また、大隈町(後の嘉穂町)は商業、農業の中心地として、それぞれ栄えた。千手村、足白村、宮野村(いずれも後の嘉穂町)では農業の方が盛んであった。 特に、昭和時代に入ると戦争(太平洋戦争)が始まり、石炭の需要が多くなり、筑豊地域は多くの人で賑わった。

昭和時代中期~現代
終戦を迎えた後も暫くは、復興を模索して混迷する日本経済のなかで、筑豊地域は産炭事業に従事する人が多く、比較的繁栄を維持していた。しかし、朝鮮戦争以後、日本が高度経済成長に向かうと、危険な採炭業は次第に魅力が乏しくなり、更に、エネルギー革命が起こると石炭の需要が急激に減少した。そのため、昭和30年をピークにして、坑夫数、人口はともに急激に減少した。炭鉱都市であった旧山田市では採炭業衰退の影響が特に大きく、人口はピーク時の約4分の1まで減少した。今尚、どの地域でも牽引役となる新たな産業の育成に苦しみ、過疎化が進んでいる。さらに市の財政も厳しくなっており、経常収支比率は110%を超えている。これは福岡県内で最も高い数値である。

2007年3月2日、タレントの井手らっきょが選手会長を務める社会人硬式野球クラブ「嘉麻市バーニングヒーローズ」が結成される。
 市の変遷 [編集]
1889年4月1日 市町村制度発足により、現在の山田市、稲築町、嘉穂町、碓井町にあたる熊田村、稲築村、大隈村、千手村、宮野村、足白村、碓井村が発足する。
1892年1月18日 大隈村が町制施行。大隈町となる。
1924年9月1日 熊田村が町制施行。熊田町となる。
1925年5月10日 熊田町が改称。山田町となる。
1941年4月17日 稲築村、碓井村が町制施行。稲築町、碓井町となる。
1954年4月1日 山田町が市制施行。山田市となる。
1955年1月1日 大隈町、千手村、宮野村、足白村が合併。嘉穂町となる。
1955年4月5日 山田市が田川郡猪位金村の一部を編入。(現在の嘉麻市猪国にあたる)
2006年3月27日 山田市と嘉穂町、碓井町、稲築町が対等合併。嘉麻市となる。


「福岡県 嘉麻市」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。
2009年8月02日 (日) 8:08 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org