みやま市 概要
みやま市(みやまし)は、福岡県の南部にある市。2007年1月29日、旧山門郡の瀬高町・山川町と旧三池郡高田町が合併して発足した。
面積:105.12km2
人口:43,696人
男性:20,535人
女性:23,161人
世帯数:13,882世帯数
人口密度:415.68人/km2
みやま市 地理
福岡県の南部に位置し、北九州市の南約100km、福岡市の南約50km、久留米市の南約20kmに位置する。一級河川矢部川を挟んで柳川市、筑後市および八女市と、清水山を挟んで八女郡立花町と、隈川や市南東の山間部で大牟田市と、また市南東部では熊本県玉名郡和水町および南関町とも隣接する。市域の多くは筑紫平野(筑後平野)に含まれる平地となっており、市の南西部は有明海に面する。
基幹産業は農業である。瀬高町東部および南部から高田町にかけては主に米作、瀬高町北部ではハウス農業でなすやセロリの栽培が盛んに行われている。市の東部を南北に貫く九州自動車道の東側および旧山川町域の大部分は山地となっており、この地域ではみかんを中心とした柑橘類の生産が盛んである。南部の有明海に面する地域では海苔養殖を含めた漁業も行われている。
また、古くは矢部川を水上交通路として利用したり、街道が通るなど陸上交通の要衝であったために、瀬高町上庄下庄の両地区は古くより市街化し宿場町として栄え、現在も酒造が盛んである。
市内において瀬高町の下庄上庄の両地区に市街地が形成されている。全体的に旧山門郡内での交流が盛んであるが、市最北部(瀬高町長田など)は隣接する筑後市と、高田町南部は大牟田市との結びつきが強い。
みやま市 歴史
旧山門郡瀬高町
1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、以下の町村が発足。
山門郡上瀬高町・下瀬高町・本郷村・小川村・川沿村・緑村・清水村・水上村
1901年(明治34年)1月1日 上瀬高町と下瀬高町が対等合併し、瀬高町が発足。
1907年(明治40年)1月1日
瀬高町・本郷村・小川村・川沿村・緑村(一部)が対等合併し、新町制による瀬高町が発足。
清水村・水上村が対等合併し、東山村が発足。
1956年(昭和31年)9月30日 東山村を瀬高町に編入。
旧山門郡山川町
1907年(明治40年)1月1日 万里小路村、富原村、竹海村、緑村の一部が合併して山川村が誕生。
1959年(昭和34年)4月10日 山門郡山川村と三池郡高田町との境界変更に伴い、元の竹海村が高田町へ分村。
1969年(昭和44年)4月1日 町制施行。
旧三池郡高田町
1931年10月1日 江浦村・二川村・岩田村が対等合併し、高田村が発足。
1942年4月1日 飯江村・開村を編入。
1958年8月1日 町制施行。高田町となる。
1959年4月10日 山門郡山川村より竹海地区を編入。
合併協議の経過
当初は2005年3月22日の発足を目指し、2004年6月27日に合併協定書に調印したが、高田町議会が合併関連議案を2度にわたって否決し、合併協議会は解散に追い込まれた。しかしその後、2005年6月5日に住民のリコールを受けて行われた高田町議会議員選挙で合併推進派が反対派を上回ったことから、同年10月1日に再び合併協議会が設置された。そして2006年3月11日に合併協定書に調印し、各町議会と福岡県議会の議決を経て、同年7月13日に総務大臣が官報に告示、2007年1月29日の新市発足が決まった。
市名の「みやま」とは、三池郡の「三」と山門郡の「山」を取った合成地名で、消防署の名称などとして親しまれてきた。 漢字でなく平仮名とした理由は、合併協議会の説明によると「平仮名の方が親しみやすい」、「『三山市』の『三』と『山』をひっくり返し、『三』を横にして『川』にすると、『山川市』になる」などがあるという。名称募集の集計結果や合併協議会の協議過程では漢字名支持が多数を占めたが、合併協議会において各町の主張する名称がそれぞれ異なり議論が平行線となったために、協議会会長であった鬼丸岳城瀬高町長の音頭によって平仮名名称での妥協に至ったとされる。なお、平仮名の名称については住民受けが悪く、名前とともに見直しを求める声も少なくない。
「福岡県 みやま市」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。
2009年8月02日 (日) 8:08 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org