佐賀市 概要
佐賀市(さがし)は、佐賀県の県庁所在地で、佐賀県最大の人口を擁する市である。
古墳時代の遺跡から佐賀藩時代の城跡、さらに明治維新期の反射炉跡まで、比較的多くの史跡が残っている歴史のある街である。各史跡の時代は幅広いが、そういった史跡がまとまって存在する地域が少ないため拠点的な観光地が乏しく、観光客数が伸び悩む原因とされている。一方で無形遺産は比較的豊富で、古くは肥前国風土記の伝承があるほか、葉隠や徐福などの伝説も残っている。
佐賀県の行政・ビジネスの中心地であり、県単位での事業所などの多くが置かれている。経済規模は近隣各県の県庁所在地と比べて小さく、観光客数等も相対的に少ない一方で、農業は比較的盛んであり、平野部では田園風景、山地では渓流などの自然景観に恵まれている。
毎年春には佐賀城下ひなまつりが開催され、10万人近くの観光客が訪れる伝統の街として、また秋には嘉瀬川河川敷で佐賀インターナショナルバルーンフェスタが開催され、100万人近くの観光客が訪れるバルーンの街としてにぎわう。
平成の大合併では、2005年10月1日に佐賀郡大和町、富士町、諸富町、神埼郡三瀬村と合併(新設合併)し新市制による佐賀市となり、2007年10月1日に佐賀郡川副町・東与賀町・久保田町を編入合併した。これにより市域は福岡県境へと拡大した。
人口規模は特例市の要件(20万人)を満たしているが、現在のところ指定されていない。
佐賀市 地理
佐賀県の南東部に位置する。市域は南北に長く、南側は有明海に面し、南東部と北側は福岡県に接している。
市域の北半分、すなわち大和町の中部・北部と富士町・三瀬村は脊振山地(筑紫山地)に含まれ、山がちで標高の高い地形である。これに対し長崎自動車道付近を境にして南側の地域はすべて標高100m以下の低平な平野地帯である。この平野は佐賀平野(筑紫平野)と呼ばれる沖積平野である。
平野部分は低平地で海抜が低く河川が多いため、昔からたびたび洪水が起こる地域であり、治水や灌漑によって農地や住民の生活が守られてきた。干満差が大きい有明海を取り囲む高い堤防と水位調整、さらに水路整備により、現在の洪水被害は以前よりも少なくなっている。一方で洪水の頻発は佐賀平野の水田の肥沃化につながり、これが稲作地帯になった要因とも考えられる。有明海に面する市域南部では自然陸化に加えて干拓などにより人工的に造成された土地が多い。東与賀町や川副町の大部分、本庄町・西与賀町・久保田町の南端などは江戸時代以降の干拓により造成された新しい土地である。
市街地は平野部の真ん中付近に位置している。佐賀駅を中心としてビル街・商業街があり、それを取り囲むように低層住宅地が位置し、住宅地辺縁に大型商業地が点在する。宅地化はやや道路に沿いながらもほぼ同心円状に進んだ。中心市街地では佐賀駅移転・工場撤退・基幹道路整備という一連の流れにより再開発が進んだ地域もある。また、市街地を出ると広い田園風景となる。いわゆる高層建築物はほとんどなく、もともとの地形とも相まって、比較的平坦な街並みである。
平野部では水路が多い。古くからの市街では生活用水にも使われていた狭い水路が家の裏側に張り巡らされる一方、田園地帯では農業用水を貯める水路や「クリーク」と呼ばれる堀が多数あり、宅地化しても多くが水路として残されている。
山:天山 (1046m)、彦岳 (845m)、白石山 (794m)、雷山 (955m)、羽金山 (900m)、亀岳 (740m)、権現山 (586m)・金立山(502m)
羽金山にはJJY送信所(はがね山標準電波送信所)がある。(日本に2つあるJJY送信所のうちの1つ)
河川:嘉瀬川、多布施川(旧佐賀市の水道の水源)、佐賀江川、巨勢川、早津江川、筑後川(諸富町の南東を流れる)、福所江川、八田江川
湖沼:大和町や金立町・久保泉町の山間部にはため池が点在する。平野部には佐賀平野特有のクリークと呼ばれる堀が多い。
ダム:北山ダム(三瀬村)、嘉瀬川ダム(建設中)
東端:東経130度23分
西端:東経130度8分
北端:北緯33度29分
南端:北緯33度8分
気候
いわゆる本土としては比較的温暖で降水量が多い地域である。大まかな分け方では太平洋側気候に入るが、三方を囲む山と、南に開けた有明海の影響により、冬には最低気温が低く、夏には最高気温が高くなる、夏暑く冬寒い内陸性気候の特徴をも示している。標高の高い富士町や三瀬村では年間平均降水量が多く、年平均気温が低い。市南部(平野部)では雪は少なく積もることもほとんどないが、市北部(山地)では玄界灘からの北西季節風に伴い毎年冬に5~10cmのほどの積雪がある。
年間平均降水量: 約1800mm(佐賀市街部)~約2400mm(三瀬村) (参考・福岡市の年間平均降水量:約1600mm)
年平均気温: 約13℃(三瀬村)~17℃(佐賀市街部)
佐賀市 歴史
縄文時代~弥生時代:市北部をのぞくほとんどの地域がまだ海底であったが、その後は河川による土砂運搬が進み、今ある佐賀平野が作られる。また有明海の干拓によって平野面積が拡大している。
律令制下では肥前国に属した。戦国時代には龍造寺氏が支配。龍造寺氏が絶えたのちの1608年(慶長13年)、龍造寺氏の重臣であった鍋島直茂が藩主の座に就き、以後は廃藩置県まで鍋島氏が統治する佐賀藩の本拠地となり、佐賀城が築城された。佐賀藩は別名を肥前藩ともいい、明治維新において、版籍奉還を上奏した「薩長土肥」の1つとなった。また、長崎に近かったため西洋の科学技術を積極的に導入し、幕末には反射炉、精錬方、三重津海軍所などが設置され、鉄製大砲や蒸気船、指字電信機(エーセルテレカラフ)、暗箱カメラなどが外国の技術者に頼ることなく独力で製作され、我が国の科学技術近代化に大きく貢献した。
明治時代は佐賀県の併廃とともに佐賀県、伊万里県、佐賀県、三潴県、長崎県、と変わり、最後には佐賀県が分離されてその県域に入った。1889年の市制施行時の市域は現在の市中心部の一部だったが、昭和の大合併により旧佐賀市、平成の大合併により現在の佐賀市の市域となった。
現在の佐賀市街のあたりは、佐賀城築城以前は水運と農業中心の小さな町だったが、佐賀城築城後は佐賀藩本藩の城下町として商工業が発展した。城下町時代の街並みは、目立った街並みの保存運動等が起こることが無く無秩序な建て替えなどでその多くが失われたが、佐賀市歴史民俗館がある旧市街東部の長崎街道沿いなどでは当時のものに近い町屋や明治~大正にかけての洋風建築を見ることができる。
近現代
佐賀の乱の忠魂碑佐賀市は1970年代以降開発が急速に進められて都市らしくなっていったが、それまでは都心の一部を除き農村と変わらない風景だった。
1870年(明治3年):佐賀藩の士族を中心とした佐賀移民団286名が組織され、北海道釧路郡の開拓にあたる。
1872年(明治5年):伊万里にあった県庁が佐賀に移され、伊万里県から佐賀県に変わる。
1874年(明治7年):士族反乱の嚆矢、佐賀の乱がおこる。
1945年(昭和20年):8月5日夜半 米軍による佐賀市の空襲。(佐賀県下初の焼夷弾爆撃で63機が2196発、439トン投下)
1949年(昭和24年):豪雨により洪水が発生、死者数十名、浸水2万戸以上という被害を出した。
1953年(昭和28年):豪雨により佐賀平野のほとんどの河川の堤防が決壊し、死者・行方不明者62人、総額249億円(当時の金額、現在の1300億円相当)の被害を出した。(昭和28年西日本水害)
1976年(昭和51年)
佐賀医科大学(現在の佐賀大学医学部)設立。このころから鍋島地区の開発が急激に進んだ。
佐賀国民体育大会(若楠国体)が開催される。
1989年(平成元年):市制施行百周年、佐賀市文化会館の開館、アジア初の熱気球世界選手権開催。
1991年(平成3年):ごみの6分別収集開始。
1996年(平成8年):佐賀市立図書館開館。(旧佐賀市での市民の図書館利用率が日本一を記録した)
1998年(平成10年)7月28日:川副町に佐賀空港が開港。
2004年(平成16年):市南部で竜巻が発生し、数百件の家に被害。
行政区域の変遷
1955年4月1日現在における佐賀市の位置と範囲
2005年10月1日現在における佐賀市の位置と範囲1889年(明治22年)4月1日:市町村制施行により、佐賀市が発足。同時に、現在の市域にあたる以下の村が発足。
佐賀郡神野村・西与賀村・嘉瀬村・兵庫村・古瀬村・高木瀬村・北川副村・本庄村・鍋島村・金立村・久保泉村・東川副村・新北村・春日村・川上村・松梅村・小関村・南川副村・中川副村・大詫間村
神埼郡蓮池村・三瀬村
小城郡南山村・北山村
1899年(明治32年)6月6日:古瀬村が巨勢村に改称。
1922年(大正11年)10月1日:神野村を佐賀市へ編入。
1935年(昭和10年)11月3日:蓮池村が町制施行。蓮池町となる。
1953年(昭和28年)4月1日:南川副村が町制施行。南川副町となる。
1954年(昭和29年)3月31日:西与賀村・嘉瀬村・兵庫村・巨勢村・高木瀬村を佐賀市へ編入。
1954年(昭和29年)10月1日:北川副村・本庄村・鍋島村・金立村・久保泉村を佐賀市へ編入。
1955年(昭和30年)3月1日:東川副村と新北村が新設合併し、諸富町が発足。
1955年(昭和30年)4月1日:
蓮池町の一部を佐賀市へ編入(他の地域は千代田村の一部となる)。
南川副町・中川副村・大詫間村が新設合併し、川副町が発足。
1955年(昭和30年)4月16日:春日村・川上村・松梅村が合併し、大和村が発足。
1956年(昭和31年)9月30日:
小関村・南山村・北山村が新設合併し、富士村が発足。
西川副村を川副町に編入。
1959年(昭和34年)1月1日:大和村が町制施行。大和町となる。
1966年(昭和41年)10月1日:
東与賀村が町制施行。東与賀町となる。
富士村が町制施行。富士町となる。
1967年(昭和42年)4月1日:久保田村が町制施行。久保田町となる。
2005年(平成17年)10月1日:佐賀市・富士町・大和町・諸富町・三瀬村が新設合併し、新市制による佐賀市が発足。
合併前の佐賀市は、国勢調査人口166,745 (世帯数65,443)、面積103.76km2、人口密度1607人/km2であった。
合併後の佐賀市は、国勢調査人口206,967 (世帯数77,853)、面積355.15km2、人口密度583人/km2となった。
2007年(平成19年)10月1日:川副町・東与賀町・久保田町を佐賀市へ編入。
合併後の佐賀市は、推計人口約240,000 (世帯数約89,400)、面積431.42km2、人口密度556人/km2となった。
「佐賀県 佐賀市」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。
2009年8月02日 (日) 8:08 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org